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2023.2.19
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2023年のNHK大河ドラマ『どうする家康』は期待外れ、そこで40年前に放送された
『徳川家康』
をレンタル視聴する。原作、脚本、役者、衣装、全てが素晴らしく50話を一気に見終え、大いに刺激を受け『徳川家康のゆかりの地』巡りに出かける。


1983年放送『徳川家康』滝田栄編

2023年2月19日早朝 2泊3日の『徳川家康』ゆかりの地めぐり旅に出発。
東京駅6:30分こだま701号に乗って静岡駅へ。静岡は家康公が人質として8歳から19歳まで過ごした地。7:42分静岡駅に到着。
あいにくの雨の中、最初は、家康公が今川義元の下で人質時代を送った際、勉学に励んだ臨済寺へ向かう。
 

家康公が学んだ.臨済寺
静岡駅前バス停から、7:51分の中原池ヶ谷線71番バスで10分くらい乗って、臨済寺前で下車。右斜め山裾に建つ「臨済寺」へ。

 徳川家康公誕生から今川家へ人質となるまで
寅年-天文11年(1542年)12月26日寅の刻(午前4時頃)岡崎城内で徳川家康公が誕生した。父は岡崎城主松平広忠(17歳)母は三河刈谷城主水野忠政の娘於大(15歳)。 竹千代が3歳の時(天文13年)広忠と於大が離別したため、突如母との別れが訪れる。於大の実家が織田方へ属したことが大きな要因で、広忠は於大と離別することで、松平家は今川方に残ることになる。 天文16年(1547年)父広忠が今川氏からの支援を受ける見返りとして、竹千代は今川家へ人質に出されることになる。しかし、その途中同行していた継母真喜姫の父戸田康光らが突如として今川を裏切り、織田方へ寝返ったため、竹千代は尾張の織田家の人質となり、ここから、長い人質生活が始まる。 天文18年(1549年)父広忠が家臣に殺害された報がもたらされると、今川義元はすぐ家臣を差向け岡崎城を接収、さらに織田方の拠点である安祥城へ攻め込み、織田信秀の子息で信長の庶兄織田信広を捕虜とした。ここで織田信広と竹千代の人質交換が行われ、竹千代は今川家の人質となった。

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本堂前の賽銭箱に「丸に三つ葵」”葵の御紋”

『臨済寺』は今川家の菩提寺で、幼少の徳川家康公が竹千代時代の10年間、軍師太原雪斎から手ほどきを受け、多くのことを学んだ場所で、「竹千代手習いの間」がある。

臨済寺を出てバスに乗って次の静岡浅間神社へ。

静岡浅間神社

 
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今川家は氏神として浅間神社を庇護し、人質の家康公(竹千代)を義元公が烏帽子親となって元服式を行った。その縁で家康公が大御所として入府以降、徳川幕府の祈願所と定めた。


静岡浅間神社を参拝後、神社東に100年以上の歴史がある長谷通り商店街を通って駿府城公園まで20分ほど歩き、駿府城の坤櫓(ひつじさるやぐら)前に到着。
駿府城二ノ丸の南西に位置する櫓(やぐら)で、築城当時の方角に由来している。


駿府城 坤櫓(ひつじさるやぐら)

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家康公は人質として19歳までの12年間、今川家の人質として非常に重要な時期を駿府で過ごしている。その後、駿河を領国の一つとした家康公が居城として駿府城の築城を始め、天正17年(1589)に完成させが、翌年関白豊臣秀吉の命によって関東に国替えされる。秀吉亡き後、関ヶ原の戦いに勝利した家康公は征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開き、慶長10年(1605)将軍職を2代秀忠に譲った後、駿府を「大御所政治」の拠点と定め再び戻り、元和2年(1616)亡くなるまでの11年間をここ駿府城で過ごした。



駿府城公園

1983年放送『徳川家康』滝田栄編

公園内を散策する予定だったが、あいにくの天気で、お濠を歩いて外から眺め、二の丸橋前を通って静岡駅へ向かう。


徳川家康年表
1542年 1歳 愛知県岡崎城で生まれる(幼名竹千代)
1547年 6歳 駿府へ人質の移行途中織田信秀のもとに連れられ織田家の人質(2年)となる
1549年 8歳 今川家・織田家の人質交換で今川家の人質(12年)になり駿府に移される。
1955年 16歳 元服。元信と改名瀬名(築山殿)を娶る
1560年 19歳 桶狭間の戦いで信長により今川義元が討たれた後岡崎城に入る
1567年 26歳 岡崎城を嫡男信康に譲り、浜松城に入る
1572年 30歳 三方ケ原の戦いで武田信玄に敗れる
1575年 34歳 長篠の戦いで武田勝頼に勝利する
1579年 38歳 武田氏へ内通疑惑で信長からの通達で築山殿を殺害、嫡男信康は切腹する
1582年 41歳 本能寺の変で信長自刃家康は辛うじて三河に戻る
1584年 43歳 小牧・長久手の戦い以後豊臣家に臣従
1586年 45歳 秀吉実妹朝日姫を娶る。本城を17年過ごした浜松城から駿府城へ移す。
1590年 49歳 秀吉から武蔵国他関八州に移封させられ江戸に入る
1592年 51歳 秀吉朝鮮出兵、家康は名護屋城に布陣する
1598年 57歳 秀吉逝去後豊臣家五大老に
1600年 59歳 関ケ原の戦いで勝利~実質天下人となる
1614年 73歳 大坂冬の陣~夏の陣を経て豊臣家滅亡
1616年 75歳 駿府城において75歳(満73歳4ヶ月)で死去駿府久能山に埋葬される
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2023.2.19
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静岡駅北口駅前、幼い家康(竹千代)と今川義元の像

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静岡町歩きして静岡駅に戻ってくる。
静岡10:21分発の東海道線に乗って11:33分浜松駅へ。


JR浜松駅前

浜松駅からアルコモール有楽街を抜けて浜松城へ。


浜松城

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浜松城は、家康公が、450年前 元亀元年(1570年)武田信玄の侵攻に備えるため、三河岡崎から引間城を改修し名を改め本拠を移した城。しかし三方ヶ原の戦いで武田軍に惨敗、僅かな供のみで浜松城へ逃げ帰った。この敗走は後の伊賀越えと並んで家康公の人生最大の危機とも言われている。


その後、家康公の浜松在城期間は29歳から45歳までの17年にもなる。
浜松城は、関ヶ原の戦い以後、一時徳川頼宣の領地だった時期を除いて、譜代大名が次々に入り明治維新まで続いた。城址は昭和25年に「浜松城公園」となり、昭和33年に鉄筋コンクリート製の復興天守が再建された。


野面積みの石垣

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自然石を組み合わせ積み上げる、野面積み(のづらづみ)という手法で作られている。一見崩れやすそうだが、内側に小石や砂利が詰めてあり、強固で、400年の風雪に耐え、今も当時の姿を残している。
浜松城を見て、坂道を下った先の広場に『大河ドラマ館』があり見学する。今度の旅行は往復交通費+ホテル宿泊代+大河ドラマ館入場券、がセットになっている。


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鰻はじめ





NHK『大河ドラマ館』

館内には家康公の関連遺品や資料が展示されているのかと期待して入館したが、期待は見事に裏切られ、単にNHKの番組宣伝用の陳列ばかり。


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興味もない展示コーナーを抜け早々に順路を進んで出口へ。
極めつけは、番組の衣装を着たスタッフが待ち構え写真を勧められる。熱心さにほだされて記念撮影


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ドラマ館を出る頃には幸い雨も上がって、浜松城脇から浜松駅に戻る。
浜松駅から今日宿泊ホテルの最寄り駅のJR舞阪駅へ、13:39分の東海道線に乗って行く
13:48分に到着、駅前で14時発の宿の送迎バスを待ちホテルへ。


JR舞阪駅

宿は浜名湖に面した「ダイワロイヤルホテル THE HAMANAKO」
送迎バスを降りて、フロントへ、チェックイン。
この時期の宿泊施設はどこも同じで、ワクチンの接種証明と身分証明書を提示して全国支援「今こそしずおか元気旅」電子クーポンを受取る。


THE HAMANAKO」フロント

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「ダイワロイヤルホテル THE HAMANAKO」は浜名湖の南端に建つ大きなリゾート型のホテル。お風呂は天然温泉で日帰り入浴の客がロビーから多数入っていく。地元の人に利用されているようだ。


「THE HAMANAKO」大浴場/ホテルHP画像

温泉は大浴場と露天風呂があり、地下500メートルから湧出する自家源泉「雄踏(ゆうとう)温泉」を引いていて、温泉名は、地元の雄踏町から名付けられた。



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窓から浜名湖の見える広い部屋で。着替えて早速お風呂へ。
夕食は旅行に出る前、うなぎを食べると決め、調べ19日PM5時に予約しておいた炭火焼鰻・はじめ」出かける。

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鰻はじめ







炭火焼鰻・はじめ」はホテルから歩いて2㌔ほど歩いていく。のどかな田舎道を歩いて5時少し前に店に着く。
人気店で予約の際テーブル席はなく、カウンター席になりますと言われ予約していたが、それが大正解だった。


炭火焼鰻・はじめ

入店して少し待って予約していたカウンター席へ案内される。メニューから二人とも「うな重」を注文。
カウンター席は、うなぎを炭火で焼く姿が目の前見れられる特等席。じっくり焼きあがるまで見学させてもらうのは初めての経験で嬉しかった。鰻かば焼きは、関東風、関西風があり、浜松はその境界線上にあるらしく、浜名湖周辺でも店によって、違うらしかった。できたら関西風を食べたかったので、今日入った「はじめ」さんは見ていると蒸さずに直火でうなぎを焼き上げている。つまり関西風なので、よかった。



「はじめ」のうなぎは蒸さずに直火で焼く関西風

炭火にかけた鰻をご主人自ら丁寧に焼いている姿が伝わってくる。
待つこと30分くらい焼きたて鰻が運ばれてくる。山椒を振って箸を付け一口入れる。蒸した柔らか うなぎとはあきらかに違う歯応え今まで食した中で最高のかば焼きであった。米一粒残さず平らげる。美味しかった。



炭火焼鰻・はじめ」うな重

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美味しいうなぎを食べ余韻を引きずりながら夜道をゆっくり歩いてホテルに戻る。


ホテル「THE HAMANAKO」

着替えて、温泉にもう一風呂あびて明日に備える。
明日は家康公の生まれ故郷、岡崎を訪ねる。

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家康公生誕の地岡崎城へ





2月20日 天気は快晴。Mは早朝のお風呂へ。朝食は7時半~一階レストランで。

「ダイワロイヤルホテル THE HAMANAKO」
   
THE・HAMANAKO」チェックアウト。
ホテルを9:30分発のJR舞阪駅までの送迎バスに乗る


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JR舞阪駅は無人駅。SUICAを使用して、9:53分の電車に乗って豊橋駅に10:17分着
豊橋で名鉄線に乗換える。



JR/名鉄-豊橋駅
   
豊橋駅で名鉄線快速電車10:32分発の新鵜沼行きに乗って東岡崎へ。

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東岡崎駅
   
10:51分 名鉄・東岡崎駅着。
駅前の複合施設「OTOリバーサイドテラス」へ向かう途中のデッキに勇壮な徳川家康公の騎馬像。


東岡崎駅の家康公の

2019年11月公開された日本最大級の騎馬像で、家康公が松平から徳川に改姓した25歳当時の姿だそうだ。こんなにスマートだったかは疑問。

徳川家康年表
1542年 1歳 愛知県岡崎城で生まれる(幼名竹千代)
1547年 6歳 駿府へ人質の移行途中織田信秀のもとに連れられ織田家の人質(2年)となる
1549年 8歳 今川家・織田家の人質交換で今川家の人質(12年)になり駿府に移される。
1955年 16歳 元服。元信と改名瀬名(築山殿)を娶る
1560年 19歳 桶狭間の戦いで信長により今川義元が討たれた後岡崎城に入る
1567年 26歳 岡崎城を嫡男信康に譲り、浜松城に入る
1572年 30歳 三方ケ原の戦いで武田信玄に敗れる
1575年 34歳 長篠の戦いで武田勝頼に勝利する
1579年 38歳 武田氏へ内通疑惑で信長からの通達で築山殿を殺害、嫡男信康は切腹する
1582年 41歳 本能寺の変で信長自刃家康は辛うじて三河に戻る
1584年 43歳 小牧・長久手の戦い以後豊臣家に臣従
1586年 45歳 秀吉実妹朝日姫を娶る。本城を17年過ごした浜松城から駿府城へ移す。
1590年 49歳 秀吉から武蔵国他関八州に移封させられ江戸に入る
1592年 51歳 秀吉朝鮮出兵、家康は名護屋城に布陣する
1598年 57歳 秀吉逝去後豊臣家五大老に
1600年 59歳 関ケ原の戦いで勝利~実質天下人となる
1614年 73歳 大坂冬の陣~夏の陣を経て豊臣家滅亡
1616年 75歳 駿府城において75歳(満73歳4ヶ月)で死去駿府久能山に埋葬される

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家康像わきに「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)」の銘板。



「厭離穢土欣求浄土」
厭離(おんり)=けがれた、この世を嫌になり離れること
穢土(えど)=この世をけがれた世界として、いとい離れること
欣求(ごんぐ)=よろこび求めること
浄土(じょうど)=心からよろこんで浄土に往生することを願い求めること



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東岡崎駅から家康像前の乙川沿いを歩いて「殿橋」を渡り左に岡崎城に向かう途中「菅生(すごう)神社」を参拝する。


第12代景行天皇の代 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)東征の折(西暦110年)
創建された岡崎最古の神社。


1566年(永禄9年)家康公25才の時厄除け、開運の祈願に造営して、歴代岡崎城主の城内鎮守の守護神として祈願所となった。


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「菅生神社」参拝して、裏手の道を下ると、すぐに岡崎城公園に入る。
今日は日曜日で好天、大河ドラマ「どうする家康」放送中もあって沢山の観光客。


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岡崎城公園

徳川家康公は、天文11年.寅年(1542年)の12月26日寅の刻(午前4時頃)に岡崎城内で徳川家康公は誕生した。


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家康公は岡崎城で幼少期を過ごした後、6歳で織田家へ人質に出され、その後今川家の人質時代を過ごし、帰還したのは、桶狭間の戦いの際の19歳の時だった。


岡崎城の清海堀。大規模な空堀で戦略上とても有意義な堀。

家康公・竹千代像ベンチで記念撮影

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家康公の遺訓碑
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば困窮したるときを思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。
勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり」

家康公の遺訓碑

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徳川家康年表
1542年 1歳 愛知県岡崎城で生まれる(幼名竹千代)
1547年 6歳 駿府へ人質の移行途中織田信秀のもとに連れられ織田家の人質(2年)となる
1549年 8歳 今川家・織田家の人質交換で今川家の人質(12年)になり駿府に移される。
1955年 16歳 元服。元信と改名瀬名(築山殿)を娶る
1560年 19歳 桶狭間の戦いで信長により今川義元が討たれた後岡崎城に入る
1567年 26歳 岡崎城を嫡男信康に譲り、浜松城に入る
1572年 30歳 三方ケ原の戦いで武田信玄に敗れる
1575年 34歳 長篠の戦いで武田勝頼に勝利する
1579年 38歳 武田氏へ内通疑惑で信長からの通達で築山殿を殺害、嫡男信康は切腹する
1582年 41歳 本能寺の変で信長自刃家康は辛うじて三河に戻る
1584年 43歳 小牧・長久手の戦い以後豊臣家に臣従
1586年 45歳 秀吉実妹朝日姫を娶る。本城を17年過ごした浜松城から駿府城へ移す。
1590年 49歳 秀吉から武蔵国他関八州に移封させられ江戸に入る
1592年 51歳 秀吉朝鮮出兵、家康は名護屋城に布陣する
1598年 57歳 秀吉逝去後豊臣家五大老に
1600年 59歳 関ケ原の戦いで勝利~実質天下人となる
1614年 73歳 大坂冬の陣~夏の陣を経て豊臣家滅亡
1616年 75歳 駿府城において75歳(満73歳4ヶ月)で死去駿府久能山に埋葬される

岡崎城の隣接した龍城神社。
岡崎城には、
龍にまつわる伝説が多く、別名 龍ヶ城とも呼ばれ、竹千代(のちの家康公)が誕生した折、城の上に黒雲が渦巻き、黄金の龍が現れたと伝えられている。

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岡崎城から龍城堀/神橋へ下り、潜水橋を渡って河原道を歩いていくと殿橋下を通る。
殿橋の下は、四角い空間のある橋脚がきれいに並んでいる。おそらく水害を防ぐための設計と思われる。


昭和初期の殿橋。すでに四角の空間の橋脚

浜松を出て朝、電車で着いた東岡崎駅へ向かう。
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円頓寺界隈
四間道
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東岡崎駅から12:22分の名鉄特急岐阜行に乗車して名古屋駅に12:59分に到着。
今日の宿はビジネスホテル「ベッセルホテル・カンパーナ名古屋」名古屋駅からは歩いて5分くらい至近で便利なホテル。


まだ午後一時すぎたばかりだったが、早目のチェックインしてくれて820号室へ。
荷物を部屋に置き、早速周辺の街歩きに出かける。
ホテルから駅と反対側に出ると、すぐに円頓寺通りという古い歴史のある通りにぶつかる。


円頓寺通りを歩くと、商店街の中ほどに小さな神社「多賀宮」、寄ってお参りしていく。参道を入ると本殿奥に三つの祠が並ぶ。
神社入口に重かる石という丸い石が鎮座してる。なんだろう?


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説明を読んで、一度石を持上げて、願い事を胸に念じ、もう一度持ち上げてみる。二度目は慣れて軽くなるはず、すると願い事が叶うという。


多賀宮から円頓寺商店街通りに戻る


多賀宮近くに「お好み焼き・甘太郎」という店を発見。安くて美味しそうな物が並んでいる。お好み焼きは時間がないので、みたらし団子やういろうを買っていく。


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円頓寺商店街
円頓寺商店街は名古屋で一番古い商店街といわれ、明治20年代に円頓寺の門前町として栄え、戦前までは名古屋一の盛り場だった、といわれるが今はその面影はない。

円頓寺商店街を分断する高速道路下には、家康公と信長公の像。

三方ヶ原敗戦後の家康像と金の信長像

さらに円頓寺商店街を進むと、金刀比羅神社。神社仏閣は素通り出来ない性分で、お参りしていく。小さな境内に面白い「名古屋弁おみくじ」


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さらに進んで、慶栄寺というお寺。入ろうとすると、閉門の様子で引き返そうとすると呼び止められ中に入ってお参りする。声の主はお寺の住職さんだった。この寺は、清洲越しの後に名古屋の現在地に移ったとされる。

清洲越しは、慶長17年(1612年)頃から元和2年(1616年)までのころに家康の命で行われた、名古屋城の築城に伴う清洲から名古屋への都市の移転をいい、これにより名古屋という都市が誕生した。


慶栄寺

円頓寺商店街から「四間道(しけみち)」に入る。
円頓寺商店街同様、ここも清須越しにともなってつくられた商人町。

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「四間道しけみち」名前の由来は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火の為、道路幅を四間に広げたのが由来。



子守地蔵尊
四間道の裏路地にある子守地蔵尊。
堂の立札によると、「地蔵は宝永7年(250年前)の作と云われ、その後地中に埋もれ約120年前にこの地に井戸を掘る際に発見され御仏にあやかり子守地蔵尊と呼ばれ、明治28年現在地に御堂が再建され今日にいたる」とある。
四間道裏路地

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「屋根神様」に関する資料は乏しく、屋根など高所にまつり始めたのは、庶民が空間の余裕のある屋根や軒下 に設置したのではないかと考えられている。


「屋根神様」

四間道から名古屋駅に行って地下街で夕食にお弁当など買ってホテルに戻る。



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「ベッセルホテルカンパーナ名古屋」820号室


着替えてお風呂へ。温泉ではないが、サウナもついた大浴場がある。



お風呂のあと、部屋で夕食。
名古屋駅地下街と円頓寺商店街で買った、お弁当・太巻きと和菓子など。



明日は清洲城を見学して家に帰る予定。
荷造りと帰りの準備して休む


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2月21日清洲城へ:天守閣からの眺め

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2月21日今日は、「家康公ゆかりの地を巡る旅」の最終日。
「 ベッセルホテルカンパーナ名古屋」の朝食は一階レストランでヴッフェ。人気メニューは名物「ひつまぶし」と「しらす」丼、一日歩くのでしっかり食べる。


ホテルを8:40分にチェックアウトして名古屋駅へ。


名古屋駅8:55分の電車で清洲駅9:02分着
清洲城は駅から東海道線と平行の道を進み、「清洲古城跡公園」を抜けて15分程。


大手橋

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信長清洲入り
清洲同盟
 

弘治元年(1555年)織田信長公が那古野城から入城、尾張を統一した。そして桶狭間の戦いにはここから出陣、勝利して天下統一への第一歩を清須から踏み出した。
そして、桶狭間の戦いから2年後、家康が信長の居城.清洲城を訪問して、信長と家康との会見が持たれ同盟が締結されたことから、清洲同盟と呼ばれている。


清洲城は、慶長15年(1610年)徳川家康によって行われた清須から名古屋への「清洲越し」の時に名古屋城築城の際の資材として利用され、慶長18年(1613年)名古屋城が完成し城下町の移転が完了した後に廃城となった。

清洲城見学

永禄4年(1561年)ねねと信長の足軽だった木下藤吉郎(後の秀吉)は、ここ清洲の城下で結婚する。藤吉郎25才ねね14才だった。ねねは清洲で生まれ、秀吉は2里(8㌔程)離れた名古屋中村の生まれ。


清洲城天守閣からの眺め

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かってこの辺りで、ねねと藤吉郎は暮らしていた。

清洲城内の展示物

NHK大河で着用の衣装も陳列

「清洲古城跡公園」で毎年6月2日信長の命日に郷土の英雄を讃え「織田信長公顕彰祭」が行われる。


「清須ひな飾りの会」による展示

清洲城を見学後、清洲駅へ歩く。
今度の旅行プランは「東京~浜松往復宿泊プラン」なので、今日は浜松まで自費で戻る。清洲駅10:32分~10:40分名古屋駅着、乗換えて10:46分~11:39豊橋でまた乗換へ、12:07~12:41浜松に到着。

2023.2.21
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12:41浜松に到着。19日来た時とはうって変わって日本晴れ。
帰りの新幹線は14:55分、だいぶ時間があるので、浜松市内を散策する。



はじめは浜松駅から15分ほど「木下恵介記念館」へ。
木下恵介監督は、浜松で生まれ育ち、浜松工業高等学校卒業後上京して松竹蒲田撮影所に入社して映画と関わることになる。二つ年上の黒澤明とは盟友であり終生のライバルであり続け、二人は平成10年(1998年)奇しくも同じ年に亡くなった。


木下恵介記念館内-記念館HPより転載

木下恵介監督作品は皆、穏やかで抒情的、そして反戦の姿勢が感じられる。

喜びも悲しみも幾年月


カルメン故郷に帰る

二十四の瞳

楢山節考


野菊の如き君なりき

木下恵介記念館を出て、通りの向かいの「金山神社」による。

石碑「金山神社沿革」には、当神社は天正年間(1573年〜1593年)徳川家康公が浜松に城を構えるに当たり、釘鎹(くぎかすがい)・蝶番(ちょうつがい)・飾り金具を金銀銅鉄で鋳造するため、場内三の丸に鍛冶衆を常駐させ、同時に美濃国の南宮大社よりご分霊を勧請し、祭祀として金山神社を建立....と書かれている。

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沿革碑の横に巨大な手水鉢


「金山神社沿革」先の坂道を進むと、徳川家により建立された「五社神社」と「諏訪神社」の大きな鳥居の前に出る。


五社神社は、家康公によって、二代将軍秀忠公誕生の際に「産土神(うぶすながみ=生まれた土地を守る神)」として、浜松城内から現在の地に移された。
諏訪神社は三代将軍家光公によって現在の位置に移され、以後、両社はともにこの土地の産土神としてされている。


合祀された「五社神社」と「諏訪神社

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「五社神社」「諏訪神社」は徳川家から厚く信仰され、旧国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)戦禍により全焼、その後1962年(昭和37年)両社は合祀され再建された。


神社を参拝して、浜松駅に戻る。


浜松駅から14:55分発の新幹線こだま728号で帰路につく。



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途中、車窓の富士山は雲に隠れていた。東京駅16:48分着。

矢切の渡し・柴又帝釈天
終
徳川家康年表
1542年 1歳 愛知県岡崎城で生まれる(幼名竹千代)
1547年 6歳 駿府へ人質の移行途中織田信秀のもとに連れられ織田家の人質(2年)となる
1549年 8歳 今川家・織田家の人質交換で今川家の人質(12年)になり駿府に移される。
1955年 16歳 元服。元信と改名瀬名(築山殿)を娶る
1560年 19歳 桶狭間の戦いで信長により今川義元が討たれた後岡崎城に入る
1567年 26歳 岡崎城を嫡男信康に譲り、浜松城に入る
1572年 30歳 三方ケ原の戦いで武田信玄に敗れる
1575年 34歳 長篠の戦いで武田勝頼に勝利する
1579年 38歳 武田氏へ内通疑惑で信長からの通達で築山殿を殺害、嫡男信康は切腹する
1582年 41歳 本能寺の変で信長自刃家康は辛うじて三河に戻る
1584年 43歳 小牧・長久手の戦い以後豊臣家に臣従
1586年 45歳 秀吉実妹朝日姫を娶る。本城を17年過ごした浜松城から駿府城へ移す。
1590年 49歳 秀吉から武蔵国他関八州に移封させられ江戸に入る
1592年 51歳 秀吉朝鮮出兵、家康は名護屋城に布陣する
1598年 57歳 秀吉逝去後豊臣家五大老に
1600年 59歳 関ケ原の戦いで勝利~実質天下人となる
1614年 73歳 大坂冬の陣~夏の陣を経て豊臣家滅亡
1616年 75歳 駿府城において75歳(満73歳4ヶ月)で死去駿府久能山に埋葬される

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